東京コンクリートは、わが国の生コン製造会社の草分け的存在として、昭和27年(1952年)に誕生しました。以来、半世紀を超えて、東京の発展に貢献しつつ、ともに歩んできました。
レックス社製トラックミキサー(昭和27年頃)
昭和27年 7月
創立 資本金二千万円
昭和27年 11月
東北沢工場は、全国で4番目の生コンプラントとして操業を開始しました。
当時は建設現場でコンクリートの混合・練りを行うことが多く、受注は極めて困難でした。しかし、「役員から運転手まで全員営業マンになれ」という社長命令のもと、社員一丸となって生コンクリートのPRに努め、受注実績を上げていきました。
昭和29年 4月
昭和28年、大口受注が立て続けに成立。東北沢工場のみでは供給しきれないため、塩崎町工場を急遽建設しました。砂町工場の新設に伴いわずか6年で閉鎖となりましたが、総出荷量40万m3余の実績を上げました。
昭和34年 8月
資本金を一億五千万円に増資
昭和35年 3月
本社を東北沢より新宿三栄町に移転
昭和35年 6月
都心の建設ラッシュによる生コン需要の急速な増加に対応するために建設された砂町工場は、東洋一の生産能力、品質を誇るプラントでした。
昭和36年 10月
本社を千代田区神田錦町に移転
昭和38年 11月
生コン需要の更なる増加への対応に加え、供給地域の拡大を目指し久留米工場を建設。都心部のみならず周辺地域の建設ラッシュも支えました。出荷量の増加に対処するためにプラント改造を重ね、良質のコンクリートを安定供給し続けました。
昭和41年 11月
砂町・久留米・東北沢各工場 JIS工場認可
昭和46年 4月
続く生コン需要急増への対応と東北沢工場の収用可能性、供給範囲拡大を目指し、羽生工場を買収。埼玉北部エリアの建設ラッシュを支えました。
昭和46年 8月
羽生工場 JIS工場認可
昭和47年 12月
東京都の都市計画事業に伴う用地収用により、創業期から当社を支えてきた東北沢工場の閉鎖が決定。操業開始以来、約20年間で総出荷量150万m3の実績を上げました。
昭和48年 12月
砂町工場 第2プラント操業開始
昭和49年 4月
二次製品部門として歩道用カラー平板の生産を開始。当社製品の品質の良さは得意先にも評判で、昭和63年には歩道用カラー平板では東日本初となるJIS工場としての許可を受けました。最盛期の年間生産販売数は100万枚に達し、関東各地の歩道に施工されました。
昭和54年 4月
本社を中央区日本橋茅場町に移転
昭和61年 7月
本社を江東区新砂に移転
昭和62年 8月
砂町工場 集中管理設備完成
昭和63年 8月
久留米工場 事務所新築並びに集中管理設備完成
平成 1年 11月
砂町工場 工業標準化実施優良工場として表彰(関東通産局長賞受賞)
平成 2年 10月
砂町工場 第2プラント建替並びに出荷事務所新築
平成10年 5月
久留米工場 骨材置場サイロ化工事完成
平成11年 11月
本社を中央区日本橋茅場町に移転
平成12年 10月
カラー平板工場閉鎖
平成15年 10月
砂町工場第1プラント建替・骨材置場サイロ化・操作盤入替
工場事務所新築他
平成16年 8月
久留米工場プラント建替・操作盤入替・工場事務所増築
平成16年 9月
砂町工場 高強度コンクリートJIS追加認定取得
平成17年 3月
羽生工場閉鎖
平成17年 4月
砂町工場・久留米工場
高強度コンクリート国土交通大臣単独認定取得
平成19年 1月
砂町工場 セメントサイロ2基増設
平成19年 2月
砂町工場・久留米工場 新JIS認証取得
平成23年 9月
砂町工場・久留米工場 デマンド監視システム導入
平成24年 10月
本社を江東区新砂に移転
平成28年 11月
砂町工場第1プラント操作盤入替
平成29年 3月
最新の設備・システムを導入し、より良い品質の生コンクリートを提供し続けています。